新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として厚生労働省や首相官邸 のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。
新型コロナの”外出自粛”に伴って、YouTubeやTwitterなどのSNSで”バトンつなぎ”が増えています。”バトンつなぎ”とは、SNS上で「次は〇〇さん」と人を指名して企画を進めていくことです。
例えば、芸人の「ギャグつなぎ」やミュージシャンの「歌つなぎ」は、ファンや社会全体を励ます取り組みとして注目されています。
しかし、アーティストのなかには、緊急事態宣言という急激な変化に直面して疲労を感じている方たちもいるはずです。「だれかのために……」というのは、美しい心がけですが、本人が自分をすり減らしてまで貢献を求めるのは何だか心苦しい気がします。
この記事では、2020年5月6日に公開されたORICON NEWSの『同調圧力?芸能界も“バトン疲れ”、SNSで求められる“繋がり”の弊害』を参照して、心のソーシャルディスタンスを意識する重要性について述べたいと思います。なお、SNS疲れについて知りたい方は、こちらの記事をご覧ください。
https://pendelion.com/sns-tiredSNS内で同調圧力が広がっている?
同調圧力とは、集団のなかで少数意見を持っている人に対して、多数派と同じように考えて行動するよう暗黙のうちに強制することをいいます。
本記事のテーマでいえば、「みんながSNS内で”バトンつなぎ”で盛り上げようとしているのに、あなただけ協力しないのはおかしい」というような空気感のことだといえるでしょう。
とはいえ、統計上のデータがないため、「SNSで同調圧力が広がっている」と断定的な見解を述べることはできません。”バトンつなぎ”の「同調圧力」は、メディアや一部の人たちの声が拡大された虚像かもしれないのです。
しかし、「みんなが大変な時期だから、あなたも我慢しなければならない」といった空気感が個人の意思決定を抑圧する過剰なものとして広がっているのなら、「本当にそれでよいのか?」と考える必要はあるでしょう。
新型コロナウィルスは健康だけではなく、経済、家庭、教育など生活環境の全体に被害をもたらしています。
「このさき、一体どうなってしまうのか?」という未来に「不確かさ」を感じている人たちは、「自分の意思」と「世の中の空気」の間で選択を迫られていると思います。
感染拡大防止に関わる科学的見解や国家の決定は尊重すべきですが、人生それ自体の行く末を決定する責任は現実の問題として外部に転嫁したところでどうにもなりません……。
「いざという時に、自分の人生を守るのはだれなのか?」という問いは、緊急事態では「政府」といいたいところですが、政治に安全を求めることはできても、人生の結果までを背負わせることはできないでしょう。
だからこそ、社会通念上、許容される範囲における個人の選択を空気に馴染まないものとして否定することは「無責任な行為」として控えるべきではないでしょうか。
「その人」が決定した選択の背景に耳を傾けた上で自分の意見を伝えるといったコミュニケーションの真摯さが求められると思います。
そうでなければ、答えの分からない状況であるにもかかわらず、正体不明な空気に翻弄されて、だれもが主体的な判断を表明しづらくなってしまいます。
一部の芸能人が”バトンつなぎ”から離脱
2020年5月6日に公開されたORICON NEWSの『同調圧力?芸能界も“バトン疲れ”、SNSで求められる“繋がり”の弊害』によれば、一部の芸能人・タレントさんが”バトンつなぎ”を控える発言をしていると報道されています。
その果てにあるのが“バトン疲れ”であるわけだが、芸能人・著名人の場合、(それなりの社会的地位があるのだから社会貢献するのも当たり前でしょ?)といった“見えない圧力”も、さらにのしかかってくる。その結果、元AKBの秋元才加は「本当ごめんなさい」「毎日一生懸命生きているだけでも結構なカロリーを消費しているので、最近よく見かけるリレーとかバトンを私に回すのを遠慮して頂けると有り難いです」「無視した感じになってしまうのもちょっと心苦しかったので」…と“勇気ある”Twitter投稿をして話題になった。
ORICON NEWSの『同調圧力?芸能界も“バトン疲れ”、SNSで求められる“繋がり”の弊害』から引用(最終確認日:2020/5/7)
この記事でも指摘されているように、「芸能人なのだから社会貢献して当たり前」という空気感は、その人たちを「一人の人間」として扱っていない時点で良いことに思えません……。
”バトンつなぎ”はやりたい人がやればいいのです。
「私も貢献するから、あなたも貢献するよね?」という偽善を求め合うことに一体、何の意味があるのでしょうか。
むしろ、真心で主体的に参加している人たちからすれば、「無理させてまで参加しなくていいよ……」と思われるのではないでしょうか。
それに、芸能人やアーティストに対して自分を押し殺して”バトンつなぎ”してほしいと望んでいる人たちが多いとは思えません。
ネット上の多数派は全体として偏るリスクがあります。すなわち、インターネットで意見を述べていない人のほうが大半であるため、同調圧力として想定される多数派が社会全体としてマイノリティになる可能性があるのです。
いずれにしても、”バトンつなぎ”が「貢献する人」と「貢献しない人」を分断するのは本末転倒です。仕事ならまだしも、プライベートな領域で「何に繋がっていくのか」は、自分で選択するものとして尊重すべきではないでしょうか。
心のソーシャルディスタンスを意識する
現在は「三密」を避けることに加えて、他者と一定の距離を保つ「ソーシャルディスタンス」が重視されています。
ただ、物理的な距離だけでよいとは限りません。リモートワークが普及したことで公私の境界が曖昧になったことで、負担を感じている人たちがいる可能性があります。
私たちは一人では生きることはできませんが、他人と四六時中つながっているのは疲れるといった矛盾した感情を持っています。そのため、「心のソーシャルディスタンス」を意識することを忘れてはいけないと思います。
近年では、SNSに疲れている人たちが増えているといわれています。デバイスを介して自分の時間が他者と共有されすぎると「気疲れする」というのは十分に理解できることです。
したがって、「今、相手はどういう時間を過ごしているのか?」という問いから出発して、お互いに居心地のよい精神的な距離感を保っていくことが持続可能な人間関係のあり方として求められるのではないでしょうか。
繋がらない自由を求めて
SNSは、24時間どこにいても、他人と繋がることができます。しかし、デバイスを介するコミュニケーションは相手の顔が見えません。
もしかしたら、心が重たくなって疲れているかもしれない。いろいろと抱え込みすぎて休みたいと思っているかもしれない。
「画面の向こう側で、その人が何を感じているのか?」といった気持ちを無視すれば、知らない間に人を追い詰めることになるでしょう。
だからこそ、「繋がらない=貢献する意思がない=自分勝手な人」ではなく、「その人が決めた心のソーシャルディスタンスなんだ」と尊重する姿勢を忘れてはいけないと思います。