記事を書く上で、「何を伝えたいのか」という書き手の意図と同じくらい「何が伝わったのか」という事実が重要です。
書き手が心血を注いで執筆したものでも、読み手に伝わらなければ、文章の価値は生まれません。
もちろん、売れるために書くことだけが全てではないでしょう。作家として自分の価値観を誠実に表現するならば、「売れるための文章」は大衆迎合的なものとして不純に思う方もいるかもしれません。
とはいえ、文意が同じでもスタイルや見え方によって天地雲泥の差が生まれることがあります。この記事では、可読性を意識して文章を書く重要性について紹介していきます。ウェブライターとして活動する方たちのお役に立てば幸いです。
- 可読性という観点から文章を書くヒントを得られる。
- ユーザー目線の文書を書くことを意識するきっかけになる。
可読性とは何か?
可読性とは、文章の読みやすさを表す性質のことです。日本では、大正時代から文書の可読性に関する研究が行われています。
佐々木夢さんたちの『文書の可読性を考慮したWeb検索に関する一考察』によれば、文書の可読性に影響を与える要因6つの指標があるといいます。
- 筆跡の読みやすさ
- 語彙・意味
- 文法
- 文書構造
- イディオム・言外の意味
- 読者の関心・背景知識
これらの要素を前提として、文章の読みやすさを「形」と「意味」から考察してみたいと思います。
形式としての可読性
ほとんどの文章は視覚的な情報です。
そのため、筆跡や文書の構造が読者の理解に影響すると考えられます。例えば、次の画像で示される2つの例文を比較してみましょう。

A文とB文を比べて見たとき、B文のほうが分かりやすいと思うはずです。
文章は長くなるほど複数の情報が含まれていくので、意味を整理するのに時間がかかります。
一文を読み終えた後に「結局、何を言いたいのだろう?」と疑問を持ってしまうと、次の見出しを読む進める意欲は下がってしまいます。
また、A文には読点が打たれていないので、視覚的に区切るポイントがはっきりと分かりません。そのため、目の休めどころがなく、疲れてしまうおそれがあるのです。
文章には点字や暗号で表記されるスタイルもあるので、必ずしも視覚的情報であるとは限りません。
意味としての可読性
文書構造が正確でも言葉の意味が分かりづらければ、読者は読みづらいと感じる可能性があります。例えば、専門用語が多い文章は意味を確認しながら読む必要があるので大きな負担になります。
近年では、やたらと外来語を使っている文章を見かけますが、「本当に意味わかって使っているのか?」という怪しい言葉の使い方をしているものも少なくありません。そのため、専門性の高い言葉を使うときは、だれが読んでもわかりやすいように解説を加えるようにしましょう。
また、「本当に、その言葉で表現しなければいけないのか?」という必然性を確認することで難語の少ないわかりやすい文章を作ることができます。
書き手の専門性から読者を見下ろすような難語の多い文章は、知識エリート層の自己満足に陥りがちです。特に、学者のようなタイプは、自分が認識する考えが正確に反映されていない文章に嫌悪感を持ちやすいので、無意識的に駄文化しやすい傾向があるので注意したほうがよいと思われます。
文章は他人に読まれて価値を持つ以上、「自分の言いたいことだけいう」という視点に偏ると、せっかく時間と労力を尽くして執筆したものでも、自己に閉ざされた世界から抜け出すことができず、人々の目にも、心にも映ることはないのです。
判読性や視認性との違いは?
可読性と似た言葉として「判読性」と「視認性」を挙げることができます。
判読性とは、文章が誤解されずに、正確に読まれる内容かどうかを表すものです。また、視認性とは、目で見たときの物理的な分かりやすさのことです。
ただ、これらの言葉を可読性と分けて理解する必要はあまりないように思われます。というのも、判読性と視認性も広い意味では可読性に貢献する性質を表すものだからです。
ユーザー目線で文章を書こう

紙媒体の文書と比較して、インターネット上で掲載される記事は読み飛ばされるものだと考えたほうがよいでしょう。
検索エンジンから一定のニーズに基づいて購読を開始する以上、問題が解決すれば、それ以上読む必要はありません。
そのため、可読性を意識してユーザー目線で文章を書くことで記事の読了率を高めることが大切だといえるでしょう。物書きとして必要なことのひとつとして、みなさんの参考になれば幸いです。